3月5日(土)、新泉山館大会議室にて、高増雅子先生の最終講義「日本女子大学の食教育:伝統の調理実習より」が開催されました。
感染拡大防止のため、対面とオンライン(Zoom)を組み合わせたハイフレックス方式での開催でしたが、約50名の方が対面で参加されました。最終講義では、日本女子大学で創設当時から実施され、高増先生がその一角を担われてきた調理教育の歴史がひもとかれ、豊富な図版や写真、当時のノートなどの貴重な資料と共に、その奥深さを知る貴重な機会となりました。
最終講義後の「高増先生を囲む会」では、先生が手作りされた、たくさんの和菓子や洋菓子が参加者に配られました(とても美味しかったです)。先生に縁のある様々な方から、あたたかなメッセージやお言葉が数多く寄せられ、とても和やかな催しとなりました。
(最終講義の内容を、一部抜粋して掲載いたします。)
日本女子大学の家政学は、創設当時より食教育にかなり重点が置かれており、他の女子教育機関とは異なる本学独自の教育理念だったと言える。成瀬仁蔵先生の教育理念については、様々な角度から研究されており、教育理念の柱としての家政学についても、たくさんの研究があるが、食教育、調理教育という側面からの研究はあまりされていない。その中で、総合研究所で行われた「本学における食教育を通してみた成瀬仁蔵の教育理念とその継承」で、系統立ててまとめられたのが、最初ではないかと考える。
明治時代の女子教育は、男子教育とは全く異なったもので、女学校の科目として家事、裁縫、音楽が設けられた。特に裁縫は週4時間あり、女学校は花嫁学校としての要素も兼ねていた。1894年に食品学・栄養学研究が進みつつある米国から帰国した成瀬先生は、女子教育の中で、知育とともに體(たい)育の重要性を述べられた。女子教育の中で、健康維持増進が個人・家族・社会においてとても大切である。その中で、食は重要な役割をもっており、そのための具体的な方法論を勉強する場が、家政学の科目であると、述べている。
[中略]
1932年に発表した成瀬先生の家政学科構想の中で、成瀬先生は栄養の大切さを述べている。特に、健康増進における料理の大切さを説き、晩年は自らの経験を通して、病気になった人への料理の大切さを、学生に示唆されている。成瀬先生の教育理念を、すべての学生に最もわかりやすく教える教科のひとつが調理学であり、成瀬先生の影響を強く残している。1906年から始まった桜楓会による夏期講習会等においても、「料理」の学びが行われていた。本学の調理教育は、創設以来一貫して家政学部において重視されてきたが、その中核を担っていたのが「料理」であった。
1905年まで「料理」は独立した科目ではなく、家政及び芸術の科目の中に含まれていた。履修学年は、1年生から3年生であった。1917年より新学制がしかれ、修学年限が4年になった為、「料理」は家政学系の専門科目としての性格をより明確にし、「料理」は2年から4年生までの履修科目となった。
明治37年に在籍した学生のノートには、ショートケーキやシュークリームのお菓子、昼食献立に卵のコロッケや鶏肉のライス添え、豚ローストリンゴソース添えが書いてあり、当時から様々な西洋料理を学んでいたことが伺える。
明治時代の赤堀峯吉・喜久先生時代の学生のノートには、鮎の煮浸しや鯛のつけ焼き、アワビの薄造り、天ぷら、筍ご飯や鯖寿司、雛菓子献立、懐石料理、精進料理等、60回を超える授業の献立が書かれていた。また、戦時中の学生のノートには、クローバーのすまし汁やつる菜浸し、雪ノ下の天ぷら等の野草を中心とした献立が書かれていた。
[中略]
本学の調理教育の体系は、大きく4つの柱からなっている。第1は、大学校家政学カリキュラムの中にしっかりと調理学・調理実習が位置づけられている点、第2には、学内での実習に加えて、学外の運動会等の行事食や来賓供応料理の作成、・寮等での食事づくり等調理を実践の中で学ぶということ、第3は、1908年から始まった通信教育での『女子大学家政講義』と、そこで行われた調理学の講義、及び1906年から始まった桜楓会による夏期講習会等での調理学の学びがあったこと、第4は、桜楓会が発行する「家庭週報」による調理技術や献立作成等の情報提供があったことである。
創立当初から本格的な調理教育がなされた中で、学生がそこで得られた知識やスキルを、様々な形で社会への還元してきたことも、日本女子大学の調理教育の大きな特徴ではないかと考える。